Sunday, July 26, 2009

Be Char Aznable_Japan


want to buy this....$350...
what should I do...

勝利の栄光を君に!

Wednesday, July 22, 2009

Thursday, July 16, 2009

Wednesday, July 8, 2009

Monday, July 6, 2009

SOUR 日々の音色 PV

Director: Masashi Kawamura + Hal Kirkland + Magico Nakamura + Masayoshi Nakamura

Friend of mine
made this music video for japanese musician "Sour"
and I think it looks very well done!!!
please have a look.

友人のアートディレクター
がこのミュージックビデオを制作しました。
完成を見たとき久しぶりにやられた。と感じました。
表現方法はまだまだ無限にあるのだろうな。
良い刺激をもらいました。
<僕もすこーし出ています。。。>


Thursday, July 2, 2009

ミーコ

 日本時間の今朝、18年間大きな病気もせず利口で飼い主孝行だった飼い猫が大阪の実家で息を引き取った。この悲しい気持ちを残しておこうと思った。

 ミーコとの出会いは18年前の寒い冬の日、妹がどこからか生まれたてでガリガリな雑種の子猫を拾ってきた。もちろん、親は大反対で元居た場所に戻すように言ったが、寒い外に放してしまうと凍え死んでしまう。と兄弟で説得し冬の間だけ家<一階の工場にのみ>に置く。と言う条件でミーコは僕らの家族になった。

 僕たち兄弟は動物を飼った事なく、最初は戸惑い、このガリガリの子猫をかわいがり方もあまり分からなく餌をあげるが名前も付ける事なく放置で数週間すぎた。結局、昔おばあちゃんの家にいた怖くて近寄れなかった猫の名前ミーコと呼ぶようになっていた。ある晩、家族でファミリーレストランに食事に出かけた。帰ってくると猫のミーミーと言う悲しそうな鳴き声が聞こえた。其の頃住んでいた家は古くネズミがよく出る家でネズミ捕りの罠を家中に仕掛けていた。其の罠と言うのは強力粘着ノリで出来ており其の真ん中に餌を仕掛けると言う単純な物であった。其の罠にミーコがかかっており必死にもがいていたのである。其の光景が本当に可哀想で僕ら兄弟はごめんね。と言いながら手分けして嫌がるミーコをお風呂で洗ってあげた。其の事件からミーコを本当の意味で家族として迎え入れた。

 それからスクスク健康に、そして利口に育ち子供であった僕らの兄弟のように過ごした。ネズミ達もミーコが全て追い払ってくれた。数年経て僕が実家を出、NYに渡り10年。帰国の度にミーコに会えるのが楽しみのうちの一つであった。

 ミーコは人の顔に自分の顔をすりつける癖と人間の腕枕で寝る癖が有った。自分が今のように写真のみで生活出来る前、NYで写真なんか続けても良いのかな?等、先の誰にも言えない不安な気持ちを抱えていた状態で一時帰国した時、ミーコはいつもかわらず僕の膝の上に乗り、自分の顔を僕の顔に何度も何度も擦り付けた。僕にはそれがいつも、がんばれ!と応援してくれてるように感じた。本当に勇気づけてもらったと思う。

 もちろん、猫の寿命は人間のそれとは短く、帰国の度、ミーコの老化が目についたがいつも元気なミーコをみていつまでも生きてほしいと思った。

 数週間前、実家より国際電話でミーコが急に危篤状態になったとの連絡が有り、意識を取り戻す事はもう無いという状態だと聞いた。来るべき時が来たか。と言う気持ちとミーコが居なくなる事が有る訳が無いと言う気持ちで、遠く離れたミーコの為に無神論者の僕がNYで祈り続けた。

 神様はミーコのためにもう少し時間をくれた。下半身は動かなく頭はボケてしまったが水も飲み餌も食べれるまで回復し、獣医も奇跡だと驚いていたそうだ。しかし、その後も度々発作のような物で苦しむミーコを直に見ている家族は国際電話越しに安楽死させてあげた方がミーコのためなのか、生かせ続けるのは家族のエゴなのかと泣きながら苦悩していた。遠くでどうする事も出来ない自分と最後に一目ミーコに会いたいと言う気持ちから少し帰ろうかとも考えたが其れもかなわず、今日に至った。

 ミーコは最後の時期は発作も無く、餌もよく食べ安静に過ごせたようだ。そして今朝、餌を沢山食べ、その後息を引き取ったという。きっと最後の期間、自分を生かせ続けた事を家族に後悔させないようにと家族に対するミーコの最後のプレゼントであったと思う。願わくば最後の時は痛み等無かった事を祈る。家族も最後の数週間、ミーコとのお別れの時間を過ごせてよかったと今は悲しくとも納得しているようだ。

 ミーコには子供を産ませなかった。しかし、ミーコとの出会いが僕を猫好きにし、今、NYで雑種の猫を2匹、1匹は道でひろい、1匹は保健所から引き取り、一緒に暮らしている。ミーコとの出会いが今一緒に居るこの猫達の命を僕に救いせしめたというだけでもミーコの生涯は大変意義のある物だと感じる。今一緒に居る猫達を此れからもミーコの子供のように育てようと思う。

 今は痛みから解放されてゆっくり眠ってほしい。

 ミーコ。いつか、また会おうね。

 本当に本当にありがとう。