Sunday, July 27, 2008

クルミ

僕の生家の近くに<山崎パン>クルミ。という、お菓子屋さん/パン屋さんがあった。そこのおっちゃん、おばちゃんは本当に小さい時から知っており、実際、親戚以上に近い関係だったように思う。

子供の頃、100円握ってお菓子をかったり、少年ジャンプが土曜日に買えたり、親のお使いでパンやフルーツオレを買いに行ったりとほぼ毎日行く場 所でもあった。そして、5、6歳の僕が、<おばちゃん。これツケといて。>の一言でお金を払わず色んな物を購入できる世にも珍しい特殊な場所だった。 <と、最近まで本当に思っていた。>

今思うと恐ろしい5歳児だったと思う。しかし、この辺に生まれた地域の子供はみなこんなカンジであった。現在の僕がこのようにツケで色んな事をまかりとうしていたら今頃コンクリ詰めで大阪湾かイーストリバーに沈んでいてもおかしくはない。

NYに渡る前はもう既に少し離れていた場所に住んでいた為、以前のように頻繁にいく用事もなかった。ま、ある程度の年代になると昔のようにお菓子 屋さんに行く事等なくなるのだが、フラフラとプータローの代名詞のような生活をしていた僕は、おばあちゃんの家がまだその近所にある為、よく平日の真っ昼 間に祖母に顔を見せに行ったついでに、<クルミ>であまり食べる訳でもないお菓子を買いに行き、おっちゃん、おばちゃんとぐだぐだとよく話したもんだ。

生家の地域は本当に小さい工場街でこのクルミのおっちゃんおばちゃんも店番中、常に内職をしていた。そしてNYに渡る直前訪れた時におっちゃんが 内職しながら、<おい、ムネ、ちょっと座って話して行け。>というので、少し内職を手伝いながら話した。いつもよりも元気のないカンジでおっちゃんは僕に 唐突に言った。<お前は新人類や。>と。そして、<わしらはもう枯れてなくなるだけの年寄りやからエエけど、お前はこの新しい時代を頑張って生かんとあか んぞ。>と。僕は其の時、<おっちゃん。なにゆってんの。訳分からんわ〜。>等と言ったもんだ。

その後、NYから一時帰国した時には<クルミ>にはシャッターが下りており、もう営業してなかった。それだけではなく、帰国するたびに地域の商店街の店が無くなって行き、もう昔のような活気のある商店街の面影すら無くなっている。

あの時以来おっちゃんには会っていない。おばちゃんは数年前に亡くなったと聞いた。でも、最近ふとあの時のおっちゃんの言葉を思い出す。僕のココ ロのどこかでいつか生まれた地元で暮したい。と思う気持ちもあるのだが、きっとあの頃の面影を今でも思い出しながら思う気持ちであって、今はあの頃とはち がうのだろうな?と理解するときもある。

哀しい事だが、これが時代の流れなんだな?とふと思う。が、帰国中、オカンが僕に<ムネ。山崎の超芳醇買って来て!>と、買い物を頼まれる時、い つも、バイクで15分かけてクルミに行きそうになる。其の時に昔の光景を思い浮かべながら大型店舗で<山崎パン超芳醇>を買う。変わらない事は、我が家は 今でも山崎パンだ。